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読書な毎日(211)

【精神病とモザイク タブーの世界にカメラを向ける】 想田 和弘
 映画「精神」のプロダクションノートといった感じの本。私は映画みたすぐ後に本著を読みました。映画みただけでは知れない舞台裏の話がたくさん出ていて興味深かった。
 ドキュメンタリーで人間を撮るというのは想像以上にたいへんなことだろう。その相手が一般人でしかも精神病となればなおさら。そこをモザイクで逃げてしまうドキュメンタリーも多いが想田監督はその手法をとらない。本作でも撮った後に自殺した人や、撮った映像を使わないで欲しいと言ってきた人もあったそう。そういったことを乗り越えての映画なんだなとあらためて思った。映画の方はわりとサラッと見れてしまうのだがその舞台裏はたいへんだ。これは私にはできない仕事だ。
 想田監督の観察映画として「精神」は2本目だが著作は本作が1冊目になります。ドキュメンタリーという手法自体は昔からありますが作家性の強い作品がつくれるようになったのはやはり機器の進化の恩恵によるところが大きいだろう。想田監督は撮影、音声、編集まで全部一人でやります。資金も自分で調達。正に自分の好きなようにできるのではありますが、誰のせいにもできない。孤独な戦いだろう。この後監督はPeace 演劇 とコンスタントに観察映画をリリースし、私も追っかけの一人になってます。著作も全部読んでるので追々感想書いていきます。
(★★★☆)

【なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか】 想田 和弘
 観察映画第三弾の「Peace」と一緒に出版された著作。私も同じ時期に購入しましたが「演劇」を見る少し前に読みました。「Peace」のプロダクションノートという面もありますが、なぜ著者が観察映画を撮るようになったかを彼の半生も含めて書いてあります。
 著者はダイレクトシネマの巨匠フレデリック・ワイズマンを敬愛していて、観察映画とはここからきているのだった。私はドキュメンタリーをけっこう見てるつもりでしたが、ダイレクトシネマという単語は知らなかった。これは映像とその場で撮った音声だけで表現するドキュメンタリーでナレーションや音楽テロップも入れないというもの。つまり観察映画もこのジャンルということになるだろう。ただし、想田監督の場合は手持ちのビデオカメラで映像と音声を一人で撮っているので表現方法は似ているが被写体へのアプローチが違っています。先に書いた通り、編集も一人でやっているそうですが、これは20年前なら不可能だった手法。ビデオカメラが小型化され、編集がPCでできるようになっため可能となりました。資金的にも少額ですみます。この手法ができるようになったため想田監督は観察映画と名づけて撮り始めたということだったのです。
 今やビデオカメラは携帯電話にもついてますし、編集だってやる気さえあれば誰でもできます。作品だってyoutubeにアップさえすれば出来不出来は別にして世界に公開することができます。しかし、作文と同じで撮ったからと言って誰かがみてくれるわけではないし、評価してくれるわけでもない。こんな時代だから映像を見たりつくったりするリテラシーをもっと見につけた方がいいでしょうね。学校で必修にしてもいいぐらいかも。と思ったりした。今の映像メディアはやりたい放題だからね。
(★★★☆)

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