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原発と私(6)~たんぽぽ舎

 中村敦夫と出会ったことにより、原発の社会的、経済的、環境的な問題点を理解したところでしたが、この時点でもまだ原発がSLであることを知りませんでした。火力がお湯を沸かしてタービンを回している原理は知っていましたが、原子力が同じ原理とはまだ夢にも思わず。それを知ったのは”たんぽぽ舎”に出入りするようになってから。
 たんぽぽ舎は”脱原発”一点に的を絞って活動している市民団体。チェルノブイリ事故をきっかけとして広瀬隆が立ち上げ。私も国民会議の活動に参加するようになり、たんぽぽ舎と柳田さんの存在を知ってはいたのですが勉強会には行ったことありませんでした。たんぽぽ舎に行ったきっかけは、川田龍平の母親の川田悦子選挙を応援したことがきっかけです。川田悦子は中村敦夫が支援して2000年に当選するのですが、その選挙を通じて現在のパートナーの彩と知り合う。彩は茨城の東海村出身で1999年のJCO臨界事故をきっかけとしてたんぽぽ舎の活動を支援、この川田悦子選挙も支援していたのです。

 そんな経緯で”たんぽぽ舎”の勉強会に参加するようになった。ここは普通の原発情報を超越した場所でした。聞く話は驚きの連続で正に目から鱗の状態。お湯を沸かしてタービンを回してるだけの発電の仕組み。PWRとBWRの違い。制御棒が挿入され、緊急停止する仕組み。地震や津波で原子炉が破局的状況に陥る可能性。劣化ウラン弾。核燃料サイクル。原発と核兵器の関係など。福島事故後の今ならそういう情報は探せばネット上にもゴロゴロしてますが、当時としては得がたかった。知れば知るほどに原発の問題点が露になっていく。
 と同時に、東電をはじめとする電力会社、経産省、保安院などの組織自体にも非常に問題があることも認識。だから、彼らの福島事故対応があの有様なのは想定内の出来事なのです。
 また、原発問題というのが実にタブー多く、主張によって言論活動を封殺されたり、出入り禁止になったりする場合があることも知りました。それだけ利権がからんだドロドロした世界だったのです。脱原発とは一筋縄ではいかない、実に手強いテーマであることが徐々にわかっていったのだった。
 今はロックスターのようになってしまった小出さんもたんぽぽの常連で時々講演をしていたものでした。山崎さんや望月さん、槌田教授の話も実に勉強になりました。私が研究者レベル!?の原発知識を身につけてしまったのも彼らがいてたんぽぽ舎があったからこそなのです。

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原発と私(5)~中村敦夫とドクターグリーン

 1997/8/9のこと。突然の自爆交通事故により私にとっての転機が訪れました。入院7ヶ月、一時的とはいえ障害者になったことにより、世の中の見え方が変わり、ゆっくり考える時間ができた。

 また、この事故をきっかけとして私は自身のホームページを開設。今も更新中の石油生成設備高度化のページ。この当時ホームページつくってるのはコンピュータマニア。パソコン通信の方がまだ主流でインターネットにはダイヤルアップでつないでいた時代。内容は石油精製とはあまり関係ない、私の興味に関してのページ。そのコンテンツの1つに中村敦夫のページがありました。

 私が中村敦夫につながっていくくだりは以前書いた、”私のパソコン履歴書~6代目Thinkpad 230Cs”と重複しますので、そこから引用。
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 私の”石油精製設備高度化”のホームページのコンテンツは競馬と映画と読書と中村敦夫が中心となっていました。競馬は一口で持ってる馬に関して。映画と読書は入院中の感想文。なんで中村敦夫なのか。ちょうどその頃、中村敦夫が参議院の東京選挙区で立候補し私も投票したら、見事当選。その喜びをホームページにしたのがきっかけです。
 当時、中村敦夫ネタのホームページをつくってる人は日本広しと言えどほとんどいなかったようでyahooで中村敦夫で検索するとなんと、1番上に私のページが出ていたのです(^^;; そんな訳で中村敦夫ファンと思しき女性(たぶんおばさんだと思う)から、何度か直メールが私あてに届きました。”ホームページ楽しみにしてます。もっと中村敦夫さんのこと書いてください”という激励メールです(^^;; そう言われても知り合いなわけでもなく、ただ彼に投票した1市民にすぎなかった私は”中村敦夫新聞”があることを知り、購読することにしました。そうしたら、中村敦夫事務所から国民会議(中村敦夫が立ち上げた政治団体)1周年パーティーの招待状が届いたのです!私なんかが行ってもいいのかな?とも思ったのですが行っちゃいました(^^; そうしたら以来、事務所から電話がかかってくるようになったのです。国民会議の勉強会に来てみませんか?って具合に。せっかく誘ってくれるのだから行ってみようというわけで、出かけて行ったわけです。私のこのフットワークの軽さはオフ会で培ったものです
 行ってみて驚きました。中村敦夫さんは私のような一般人と一緒に本当に政治を変えようとしていたからです。政治の世界なんてお呼びでないとそれまで思っていたのですが、一人一人が意識を持てば変えることができるということに中村敦夫さんによって私は気づかされたのです。しかし、そこに集まっていた若い人があまりにも少ないことにも驚きました。
 以来、私の興味の軸足は政治や社会問題へと。
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 もちろん中村敦夫に興味持ったのは彼の番組”地球発22時”や”ザ・サンデー”を見て共感していたからです。そんな彼が政界に登場したのでずっと遠くから応援していました。しかし、近くに行って話を聞いてTVで見るよりずっとすごい人で哲学を持っていると感じました。

 それまでの私は技術系サラリーマンでした。毎日会社に通い仕事して、帰って寝る。友人は会社系と学生時代、趣味関連ぐらい。選挙で投票には行くけど、それ以上は関わらないし、デモなんて自分が行くことを想像したこともなかった。それが国民会議と中村敦夫と出会ったことにより自分も政治参加できることを知ったのです。投票する以上にもいろいろできることがあると。プロ市民がここに一人誕生したのだった。
 国民会議は定期的に講師を呼んで講演会を開いていました。そこで、広河隆一さんの講演を聞き、チェルノブイリは事故後も大変なことになっていることを知る。田中優さんの講演を効き、原発は無駄に電気をつくって余らせていることを知りました。中村敦夫によって私は原発無知から脱原発派になったのです。
 先の中村敦夫のページにドクターグリーンという劇が載ってますが、私もキャストとして参加。これはコメディタッチの環境啓蒙演劇。とある普通の一家がありました。彼らはゴミをポイポイ捨てるし、資源も大切に使っていません。そんな彼らに環境の伝道師ドクターグリーンがいろいろアドバイスするが耳をかさない。あるとき、原発が爆発し彼らは被曝。ねずみ(官僚)は安全です!大丈夫です!と言うのだが、心臓に穴のあいた子どもが生まれてしまうのだった。未来の福島を予言してるよう劇だったな.....。
 しかし、中村敦夫の登場は日本にとって10年早かった。彼の言ってたことがすべて現実になっていくこの世の中を見てるとそれを今感じるのだった。

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原発と私(4)~プラントのシミュレータ

 就職した会社は化学プラント系のシステム会社でした。化学プラントのモニタリングシステムや技術計算をやってるチームとその他システム全般をやってるチームがありました。私は化学専攻ですので前者に。正に専攻と趣味が合致したような職場であった。会社入ってみて意外だったのが、システム会社だというのに私レベルのパソオタでもかなり上位レベルのパソオタだったということです。もちろん私を上回る人もたくさんいましたがね。
 そんな会社で私はプラントのシミュレータだの、化学技術計算のプログラムだのをつくるの手伝っていました。ここで、化学プラントのイロハを一応体得したわけです。と言っても実物を設計してるわけでないので、あくまでバーチャルな世界の話ですが。
 原発はこの時点でもほとんど関係ありません。私の会社が扱っていたのは主に石油系のプラントでした。しかし、私は関わらなかったのですが、福島原発のモニタリングシステムつくってるプロジェクトがありました。某先輩SEが○の中にセルが入ったような絵を描いてました。温度によってセルの色が変わるのです。ほうゲンパツってのはこんなんか!?先輩のグラフィックがきれいだったので根拠なくスゲエモンダナと横目で見ていましたが、この時点でも私は原発がSLであるということは知らなかった。高度な発電技術と勝手にまだ思っていたのです(^^;;

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原発と私(3)~工業化学学科

 理系の大学に進学することは決めていましたが、何を専攻するかは高三ぐらいまでははっきり決まっていませんでした。ただ、基礎研究系ではなくすぐに世の中の役に立ちそうな応用工学系に進みたいと思っていた。

 理系の受験教科は3つあります。物理、化学、生物。もちろん文系科目もあり、加えて3教科勉強するのは大変。頭いい人は別にして、どこかで二科目に絞るもの。第一回目の連載で私はコンピュータかバイオテクノロジーに進みたかったと書きました。コンピュータに進むなら生物を、バイオに進むなら物理を捨てるという選択になります。悩んだ結果、私は生物を受験科目から外した。物理と化学で受験ということ。この組み合わせの方が理系でもつぶしが効くというのもあったけど、やはりコンピュータの方により強い興味があったのです。受験の際は第一志望のコンピュータ系、化学もすきだったので応用化学系の二本立てで受験しました。
 原子力が夢のエネルギーという幻想は私の学生時代にはなくなっていました。核融合の方が未来のエネルギーと思われていた。ガンダムは核融合炉だよね。けれどこの核融合ってのも放射性物質扱うしダメだねこれも。爆弾みたいなエネルギーより風車や太陽光でショボショボッとやるのが未来のエネルギーだったわけだ。

 さて、一浪して大学入ったわけですが、結局入ったのはコンピュータ系ではなく、応用化学系。コンピュータ系の学科はこの当時は経営工学とかいう名前ついてることが多かったが、数少なく人気も高く、受けたけど落ちた。応用化学系は2校うかったが、学校の所在地と研究科目から日大理工の工業化学を選択。
 大学入ってコンピュータ専攻ではないけど、コンピュータはずっといじってました。大学に入ってみると思った以上にコンピュータは使われておらず、なんだこんなもんかと、ちょっとがっかりしたものです。私程度のパソコン使いが学科で一番のパソオタだった。大学2年からはお茶の水校舎だったので、よく秋葉原をうろついていたものです。
 けれど、工業化学に入ったことは視点が広まるという意味で良い選択だったと今も思っています。私が入った研究室は石炭液化の研究をしていました。石炭という資源は豊富だが個体であるため石油のようにパイプで輸送しタンクに詰めるということができません。よって、石油のように液化する研究。ただし、現状コスト面で掘り出す石油と勝負にならず、石炭液化するための効率良い触媒の研究をしていました。
 化学実験というのは実に地味な作業です。だいたいのアタリをつけて条件を変えながら何度も実験します。そのデータをまとめて分析し、また条件を変えて実験。この繰り返しなわけです。これもこれで面白いけど、時間のわりに結果がなかなか出ない。というわけで、就職はやはり結果がすぐ出て進化中のコンピュータ系かなと思っていました。

 原子力と私というタイトルなのにここまでほとんど原子力は出てきませんでしたね(^^; そうなんです。応用化学系と原子力系は全くの別分野と言って良いので、関わりがないのです。化学の世界ではウランやプルトニウムを扱うことはありません。放射線が出る物質という時点で放射線管理区域でしか扱えなくなるので別世界。原子力というのはかなり特殊な世界なのです。
 大学時代の原子力との関わりという面でみると、渋谷の電力館にフラッと入ったことぐらい。原子力発電関連の展示が多くて、原子力発電は随分増えてるんだなとアッサリ洗脳されて電力館を後にしたものでした。しかし、この展示は原子力発電の構造についてのものではなく、プラント工学を習ってる私でさえも原子力発電がお湯を沸かしてタービンを回してるだけのパワープラントとは知りませんでした。勝手にもっと高尚?な方法で発電していると信じていた。原発がSLだったと知るのはもっともっと後のこと。

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原発と私(2)~チェルノブイリ!!

 スリーマイルの事故があったことは9才だったこともあるでしょうが全く意識にありません。ですが、チェルノブイリのときは既に高校生となっておりよく覚えています。遠いウクライナの事故だったので、自らの危険は感じなかったのですが、原発が爆発するととんでもないことになるものだと恐怖しました。当時の日本の報道はソ連だから起こったことで彼らは情報を隠すし、事故対応もお粗末でとんでもない、とやっていました。
 けれど、これが日本の原発で起こったらどうなるか!?までに思いは至らず。日本のどこに原発があるのかも知らなかったし、調べようとも思いませんでした。チェルノブイリは遠い国の出来事だったのです。
 原爆の怖さについては学校や本や映画でみてよく知ってるつもりでした。「はだしのゲン」は我が家にもあったし、小学校の学級文庫にもありました。しかし、それと原発は全く結びつかず。何事も二面性があるように、原子力は爆弾にもなれば、原発のような平和利用にも使えるものという程度のおぼろげな意識はあったかもしれません。チェルノブイリがあったというのに、原子力が暴走すると日本でも恐ろしいことが起こるとは想像できなかったのです。いつしかチェルノブイリ事故のことも忘れてしまったのだった。

 チェルノブイリの事故後に、データイーストというゲームメーカーからアトミックランナー・チェルノブ 戦う人間発電所というアーケードゲームがリリースされました。チェルノブイリ事故で放射能を浴びて超人化した炭鉱夫が悪と戦うというアメコミみたいな設定で、インパクトが強かった。私は高校時代ちょっとしたゲーマーであり、何度かこのゲームもプレイしたけどムズかったよね!チェルノブイリと聞くと今でも思い通り動かないチェルノブの後ろ走りと片足ジャンプの姿が脳裏に浮かぶのだった....。

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原発と私(1)~原発と私は同じ世代

 私のうまれは1970年。うまれたときから原発があった世代というか、原発も私と同じ世代。つまりうまれて40年。物心ついたときには原発はありましたが、まだそれほど大きな存在感は持っていませんでした。私も原発に興味があったわけでなく、うまれたときから脱原発であったわけでもありません。そんな私がなぜ脱原発に至ったのか!?という経緯を何回かの連載にわけて書いてみます。

 私の親は福祉系の地方公務員。親戚に電力関係いるわけでもなく、原発プラントとは縁もゆかりもない環境にありました。ただ、5歳ぐらいから住んだ現在も両親の住んでいる実家。武蔵村山の一戸建てのすぐ近くに高圧線があった。当時はまだ高圧線の電磁波の影響についてあまり騒がれていませんでしたが、今思えば影響のある範囲に住んでいたと言えるのでしょう。後にその高圧線は倍ぐらいの高さに工事されたことがそれを証明しています。
 高圧線の近くに住んでいるということで、我が家にはよく東電がやってきました。名目は高圧線の見回りで、何か高圧線に異常あれば連絡してくださいね、ということ。ただ来るだけでなく、広報誌と、ときどき簡単な家電製品やマグカップなどの東電グッズをもプレゼントしてくれました。高圧線の見張りと言ってもただそこに住んでるだけで何をしてるわけでもないから、なんか役得!ぐらいにしか私は思っていなかった。広報誌にはくらしの情報的なレシピとか旅の話と原発含む東電のピーアールなどが載っていたと記憶しています。実はこれ迷惑料、我が家も東電マネーの影響下だったわけだ。
 また、あるとき私の母親が柏崎の原発見学ツアーに東電に誘われて行きました。”原子炉の上を歩いたんだよ”なんて母親が話してましたが”ふーん”ぐらいにしか思いませんでした。私は理系指向の人間でしたが、原子力には当時ほとんど興味なし。コンピュータとバイオテクノロジーに強い興味を持っていて、将来的にはどっちかに進みたいと考えていた。
(つづく)

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新最近みた映画(117)

【誰が電気自動車を殺したか?】 クリス・ペイン
 2006年公開のドキュメンタリー映画。1990年州当局は90年、カリフォルニアは州内で走る新車の10%を、03年から「無排ガス車」とするよう義務づけた。GM からはEV1という電気自動車がリース販売され、順番待ちになるぐらい好評だったが、需要がないの一言で2003年すべて強制的に回収されてしまった。EV1以外の電気自動車トヨタやホンダのEVも同様で、街から電気自動車は消えてしまった。いったい誰が電気自動車を殺したのか。ちなみに時の大統領はあのブッシュ。
 映画ではミステリータッチに犯人を探り出していきます。様々な要因の共犯ではあるのですが、主犯格はやはり石油=エネルギー業界。電気自動車はバッテリのコストを除けば、ランニングコストはガソリンに比べはるかに安い。約1/10。騒音も排ガスもない。また、ポルシェを上回る加速性能を持っています。つまりガソリン車に勝ち目がないということ。だから政治力使ってつぶしちゃったんだね。
 回収されたEV1は、実験したり再利用するとの話だったのですが、ある日、EV1を返して!と訴える元オーナーを置き去りにどこかヘ運び出されてしまう。そして全てスクラップに。まるで電気自動車の集団虐殺を見ているようでした。なんと酷い....。
 石油業界もいつまでもガソリン車の時代が続くとは思っていません。しかし、次の時代の車は電気自動車にしたくない。なぜなら、ガソリンスタンドが不要になってしまうから。というわけで、燃料電池車をなんとか実用化しようとがんばっています。これならガソリンスタンド変わる水素スタンドが必要です。けれど、燃料電池車はかなり課題が多い。まず、コストと機器自体の複雑さ。水素貯蔵の問題と航続距離。無駄な排熱。革命的な発明でもない限り現状、実用化はほぼ無理な状態。つまり”もんじゅ”のようなものです。そのつなぎとしてうまれたのがハイブリットカー。こいつなら頻度は少なくなるがガソリンスタンドにはきてくれます。というわけで米国でもハイブリットカーが売れたわけだ。しかし、ハイブリットはあくまでつなぎの技術。米国でも電気自動車が発売されはじめています。
 そんな時代の流れを受けて本作の続編が近日米国で公開されます。その名も「電気自動車の逆襲(Revenge of the Electric Car)」サブタイトル!?は「IT'S ALIVE」。皆殺しにされたかと思った電気自動車は密かに復讐の機会をうかがい、新しい技術を磨いていたのだった!ポスターや予告編がターミネーターっぽくてかっこいいぞ(^^;
 日本では本作はなんと未公開でした。日本の石油業界もアメリカの子分みたいなものだからね。というわけで、続編も日本で公開されるかあやしいところです。すごく見たいのですが!
 今のところ日本のバッテリ技術はトップクラスだし、ウルトラキャパシタという新しい蓄電技術も開発されていますから、早く日本も電気自動車に転換すべき。空気もきれいになるし、停電時の蓄電池にもなります。さっさと原発やめてスマートグリッドにしよう!
 ちなみに日本でも既に昨年から三菱と日産がEV売ってます。補助金引いて300万円弱。家庭用電源で充電できるし、無税車なのでランニングコストは超安い。来年トヨタとホンダも出す予定。自動車業界も変わらなきゃ。
(★★★★)

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コンピュータ監視法

 ほとんどニュースになっていない「コンピュータ監視法」だが問題多い。
 コンピュータウイルスを取り締まるつもりの法案だが、まず、コンピュータウイルスの定義が変。ユーザの意図しない動きをするプログラムがウイルスということになっている。つまり実害なくても、ユーザー様の思った通りに動かないプログラムはウイルスになる!?作者だって思った通りに動かない場合あるというのに。そして未遂でも罰するという。プログラムを開発中でだれにも配布されてなくとも罪になる。これが新設されるウイルス作成罪。
 プログラムつくらない人も関係がある。保管してても罪に問われるのだ。つまり、winnyのように当局がウイルスと思ったソフトをインストールしてると捕まってしまうわけだ。実害なくてもウイルスになるので、当局がウイルスと思ったプログラムがウイルスになる。これも新設されるウイルス保管罪。

 この手の法律は自民党が何度も作ろうとして失敗していた。民主党は反対していたはずなのに与党になるとどうして変わってしまうのか。
 実際、起きているウイルス被害やサイバー攻撃は現行法で対処可能。新たな法律はつくる必要ない。そもそもほとんどのコンピュータウイルスは海外製。日本で法律をつくっても適用できないだろう。

http://www.moj.go.jp/keiji1/keiji12_00025.html
http://antivirus.server-ing.com/2011/04/08/572/
http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2011/05/post-eb35.html

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脱原発(日本のジャスミン革命)に向けての当面の目標6/2改訂版

 菅は終わった。ごくろうさま!お遍路に行ってきてください。選挙と民主党の分離が回避され新総理選びの局面になる。というわけで 目標の2)が変わりました。前回の目標はこれ

1)発送電分離(東電解体) 2)脱原発総理誕生 3)老朽化原発(マーク1)停止 4)もんじゅ廃炉

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