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私のパソコン履歴書~6代目Thinkpad 230Cs~これぞ理想のノートPC

230cs6代目>>>PCデータ
機種名:IBM Thinkpad 230Cs
使用期間:1996~1999
イメージキャラ:なし
購入価格:178000円
OS:Windows95
CPU:i486SX 33MHz
メモリ:4MB
HD:130MB
備考:カラー液晶 B5サイズノート

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 WindowsというOSは思った通り普及...というか世界を制覇しはじめていました。いつの間にかパソコン業界はOSの方に実権を握られてしまっていたのです。そんな中、Windowsの新バージョンWindows95が日本でもリリースされました。あのときのパソコン業界、そしてマスコミのバカ騒ぎっぷりは語り草になるぐらいですね。
 Windows95でパソコンに革命が起きるぐらいの騒ぎでしたが、私にはWindows3.1のマイナーチェンジぐらいにしか映らなかったので、とりあえずは静観していました。けれど秋葉原には定期的に訪れ、掘り出し物があれば買ってもいいかなぐらいに思っていました。
 そんな折、これもどこで買ったのか覚えていないのですがアウトレットもののIBMのB5カラーノートがお手ごろ価格で売っていました。4代目の重さで懲りた私は、今度買うなら絶対にB5のカラーと誓っていました。それにかなう一品だったのです。IBMのノートPCはよく職場でも使われていたのですが、筐体が丈夫で安心感があり高級モデルというイメージがありました。
 Windows95は思った通り、win3.1のマイナーチェンジのようなものでしたが、Thinkpadを買って以来はconturaは2台とも全く使わなくなってしまいました。どちらも帯に短したすきに長しなPCだったからです。
 このthinkpadは大きさ良く、使いやすさも液晶も良くてノートPCの理想のようなモデルでした。当分はこのPCでいいな、と思わせるものがあったのです。今もthinkpadにはトラックポイントというポインティングデバイスがついていますがこのモデルにはそれがついていました。使いづらいという人もいますが、私はこれが気に入り、以来できればこれがついているPCを選ぶようにしています。

 そんなとき、私の人生にとって重大な事件が起こったのです。バイク自爆の交通事故で大腿骨を粉砕骨折。以降7ヶ月の入院生活となるのです。実はこの事故は新潟の競馬オフ会へ行く途中の出来事でした。突然の事故ですから、新潟では”よこぜさん来ると言ってたのに来ないなあ”なんてやっていたそうです(^^; 事故と入院の話は別にレポート書いてあるのでそっち読んでみてください。その入院の時に大活躍(^^;;したのがこのthinkpadくんだったわけです。
 足はボキボキでしたが、意識ははっきりしていたので、親に連絡し、まず持ってきてもらったのがこのPC。当初は寝たきりでベッドからも動けなかったのですが、仰向けの状態でPCにコメントやらメールを書き込み。親に操作方法を教えて病院にあったグレ電(モジュラージャックのついてる公衆電話)でパソコン通信につないでもらったのです。ベッドから下りれるようになるまで3週間ぐらいは親に操作してもらっていました。
 というわけでこの後半年にわたり一緒に入院していたのがこのPCだったわけでたいへんお世話になったのです。この当時はノートパソコンというのものを一般人は持っていないものでした。医者からも看護婦からも患者からも珍しそうに見られ、”仕事してるんですか?”とよく聞かれました。今はきっとたくさんいるんでしょうね。入院してパチパチタイプしてる人が。

 また、入院してると自由になる時間が大量にあるので新しいことを始める余裕ができます。私の場合は入院中にHTML言語を習得しました。すなわちホームページですね。1997年というのはちょうどニフティもインターネットに接続し、インターネット用のメールアドレスをユーザーに配り、ホームページ用のディスクスペースを提供するようになったときです。ちょうど私の入院とタイミングが合致したのです。
 入院中にある程度のコンテンツを作成し、退院後に整えて1998年の6月に現在の石油精製設備高度化のページの原型をインターネットにアップロードしました。と言ってもこの当時はまだインターネットにはダイヤルアップでつないでいた時代です。一般人も一般的な会社もまだインターネットにはつながっていません。アップロードしたはいいけど、インターネットを見ているのはごく小数の限られた人々でした。
 まだまだこの時期はパソコン通信の方が日本では中心で、むしろ一番盛り上がっていた時期ではなかろうかと思います。競馬フォーラムは一口馬主談義をするためのFHOWN(競走馬オーナーズフォーラム)なんてのまで誕生しました。インターネットのホームページというのは外向きの看板のようなものだったのです。
 入院してホームページ作成をマスターした私のもとにはあっちからも、こっちからも”ホームページつくって”という依頼がやってきました。仕事ではないので、ほとんどがボランティア作業。今も面倒みてるページがいくらか残ってます。

 私の”石油精製設備高度化”のホームページのコンテンツは競馬と映画と読書と中村敦夫が中心となっていました。競馬は一口で持ってる馬に関して。映画と読書は入院中の感想文。なんで中村敦夫なのか。ちょうどその頃、中村敦夫が参議院の東京選挙区で立候補し私も投票したら、見事当選。その喜びをホームページにしたのがきっかけです。
 当時、中村敦夫ネタのホームページをつくってる人は日本広しと言えどほとんどいなかったようでyahooで中村敦夫で検索するとなんと、1番上に私のページが出ていたのです(^^;; そんな訳で中村敦夫ファンと思しき女性(たぶんおばさんだと思う)から、何度か直メールが私あてに届きました。”ホームページ楽しみにしてます。もっと中村敦夫さんのこと書いてください”という激励メールです(^^;; そう言われても知り合いなわけでもなく、ただ彼に投票した1市民にすぎなかった私は”中村敦夫新聞”があることを知り、購読することにしました。そうしたら、中村敦夫事務所から国民会議(中村敦夫が立ち上げた政治団体)1周年パーティーの招待状が届いたのです!私なんかが行ってもいいのかな?とも思ったのですが行っちゃいました(^^; そうしたら以来、事務所から電話がかかってくるようになったのです。国民会議の勉強会に来てみませんか?って具合に。せっかく誘ってくれるのだから行ってみようというわけで、出かけて行ったわけです。私のこのフットワークの軽さはオフ会で培ったものです
 行ってみて驚きました。中村敦夫さんは私のような一般人と一緒に本当に政治を変えようとしていたからです。政治の世界なんてお呼びでないとそれまで思っていたのですが、一人一人が意識を持てば変えることができるということに中村敦夫さんによって私は気づかされたのです。しかし、そこに集まっていた若い人があまりにも少ないことにも驚きました。
 以来、私の興味の軸足は政治や社会問題へと。

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