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読書な毎日(189)

【原子力戦争】 田原 総一朗
 1976年に出版されたフィクションだが、田原の取材記と言ってよいような本。当時田原はテレ東でドキュメンタリーのディレクターをしていたが、問題作ばかり撮るのでこの時期は干されていた。それを利用して原発を取材したが、発表の場がなく本著となったようです。本著は黒木監督により映画化もされるのですが、テレ東の逆鱗にふれて、この作品がきっかけで退社しています。その後潜伏期間を経て朝生で注目を浴び現在にいたります。
 私は今まで田原という人物にほとんど興味は無かったのですが森達也との対談を読み、昔は相当にヤンチャな人物だったということを知る。それで興味を持ち調べたところ本著にぶちあたりました。本著は現在絶版となっており、田原総一郎全集に収録されています。映画の方もビデオ化されておらず、見たくとも見れません。
 今の田原が同じテーマで本を書いたら、鼻くそみたいな読む価値のない本ができるのでしょうが、本著は違います。その取材力と洞察力は驚嘆に値するものです。本著が出たのは日本の原発の草創期で、スリーマイルもチェルノブイリもまだ先の話なのですが、それを予見し、原発というシステムの問題点を洗いざらいぶちまけています。原発労働者、利権、廃棄物問題、汚染問題、危険性、原子力の軍事利用、市民運動、官僚と財閥と電力会社と政治家そして米国、今読んでも全く古くなく、この当時から原発は何も変わっていないことがわかります。ところが、このころ原発についてこれほど理解している人はきっといなかったに違いありません。
 話の構成としては田原とおぼしきTVディレクターが番組になるあてもなく、原発を取材していく過程で原発にまつわる様々な人と出会います。推進側も反対側にもどうも同調できない田原なのですが、国家権力の渦に巻き込まれていくのです。
 今の田原からは想像もつかないような本なのですが、この本を世に出すことによって彼と彼の人生も変わってしまったのでしょう。田原全集のあとがきにはサラッと、TV界を去るきっかけとなった思い出深い作品なんてトボケて書いていますが、取材の牙を抜かれて飼い猫になるという条件で彼は今も生き残っているのでしょう。中立な司会のフリをして当局の意向に沿った方向に議論を導いています。つまりすっかりダークサイドにおちてしまったのです。田原を黙らしてしまう原発という国策はそれだけ危険なものなのです。しかし、もったいないジャーナリストを亡くしたものです。
 そろそろ余生も残り少ないのですから最後ぐらいは世の中の役にたつことをしてほしいなと思います。
(★★★★☆)

【天皇の金塊とヒロシマ原爆】
 高橋 五郎
 第二次大戦の前後で活躍したというユダヤ系スペイン人の国際スパイ ベラスコの告白について書いている本。ベラスコは戦争中に日本のスパイとして主にヨーロッパで活躍し、2002年まで存命だった。著者はそのベラスコの息子の一人。著者は関連本を数冊書いていますが本作が今のところ最新著。
 ベラスコは息子に断片的に様々な情報を語ったそうです。それらのうち、日本に落とされた原爆の秘密についてまとめてあるのが本著。要点を書くと。原爆の研究はドイツでも行われていた。史実では完成までに至らなかったことになっているが、むしろ米国より進んでいて核実験もしていて、実用レベルに到達していた。しかし、ナチスの体制崩壊は内部からも進んでいて完成していた原爆をロンメルなどの反乱分子らが連合国側に渡してしまう。このとき渡された原爆はヒロシマのウラン型リトルボーイでこれがアメリカにわたり、そしてサイパンから広島に落とされた。もうひとつの長崎のファットマンと核実験に使われたトリニティはプルトニウム型で、こちらはアメリカが研究していたもの。原爆の方式など一般人は気にもしないのだろうが、この2つは使われる核物質も違えば、起爆方式も全く異なるものである。普通研究する場合には検証段階では複数方式を検討するが実際に実用化に至るのは最も良いとされる1方式である。アメリカが実用化にこぎつけたのはプルトニウム型で、ドイツが実用化にこぎつけたのはウラン型だった。そして実戦にこの二つがほぼ同じ時に使われた。
 ドイツはかなり早い段階、1943年ごろにはこのウラン型を完成させていたが、実戦には使わなかった。なぜなら、その被害がとてつもないものになるというのがわかっていたからヒトラーが指令しなかった。
 一方の米国はと言えば、プルトニウム型原爆の開発に難航し、大量の予算をつぎ込みながらもなかなか完成に至らなかった。日本の敗戦が延びたのは、この原爆開発を待つためだったというのが一つの定説となっています。そのプルトニウム型原爆実験のトリニティがネバダの砂漠で成功したのは1945/7/16のことでした。このわずか3週間後に広島、長崎へと正にギリギリのタイミングで原爆は落とされたのです。
 その最初の1つ、つまり世界最初に実戦で使われた原爆はなに故ドイツ製だというのか。その根拠は前述の通りアメリカが開発していないウラン型だったということ。ウラン型については、アメリカに戦中も戦後も実験の記録が1つも残っていません。あれだけ米国は核実験しているのにウラン型は唯一ヒロシマだけなのです。
 ヒロシマ ウラン型は隠密のうちにコソッと落とされたものでした。同行記者はなし、映像や写真も専門の記録係りがとったものではなく、同機の乗組員がとったもの。そのため、カメラのブレがはげしく、一方向からの記録しかありません。一方のプルトニウム型はセレモニーを開催して出発を祝い、記者や記録係をともなっています。この格差はなんでしょう?つまり、ウラン型は実験を兼ねての投下だったということでしょう。炸裂しなかったとしてもかまわない。逆に言えばプルトニウム型が失敗したときの保険のために落としたとも言えるのでしょう。
 これが事実だと正に歴史がひっくり返りますが、NHK特集「私は日本のスパイだった──秘密諜報員ベラスコ」でもベラスコという人物はとりあげられており、彼がスパイで実在したことは間違いないようです。著者もベラスコに迷惑がかからないようにということなのでしょうが、彼が他界してからこれら情報を発表している感じで、けっこう信憑性があると私は思います。
 天皇の金塊の方は、日本軍が集めた金塊を米国は狙っていたという話。この話は同著者の別の本にもなってるようですし、本著には書かないでも良かったのではと思います。金塊にはあまり興味ない(^^;
 ベラスコとの対話と筆者の推測の文が入り乱れ、繰り返しも多くて、やや読みにくい文書です。きれいにまとめれば、半分の文量ぐらいでかけたのではないかと思います。
(★★★★)

【はだしのゲンはヒロシマを忘れない】 中沢 啓治
 はだしのゲンの著者の自伝。はだしのゲン自体が著者の原爆体験の自伝ですが、本著はその後にマンガ家となりはだしのゲンを描き、そして現在に至るまでのことが主に書いてあります。
 私もはだしのゲンは小学生ぐらいのときに全巻読んでいます。確か母親が生協で買ったもので、一気に読んでしまったけど二度と見たくないと思ったものでした。その後、小学校の学級文庫にも唯一の漫画としてありましたが以来読んでいません。それだけ衝撃的でヒロシマと言えばまずはだしのゲンが思い出されるぐらいです。
 著者は東京に出て漫画家となります。手塚治虫を尊敬していて、冒険ものを中心に書いていたが母の死が転機となります。被爆した母の骨が火葬にしたらなんと粉になっていたのだそうです。これにショックと怒りを覚え、原爆の漫画を描くことを決意します。しかし、書き上げた漫画を掲載してくれるところはなかなか見つからなかった。その後も原爆に関連した漫画を何本か書き、はだしのゲンに至ります。はだしのゲンも連載当時は人気が高かったわけではなく、単行本化されてから評価が上がったようです。著者ははだしのゲン以来新作を書いておらず、それだけ本作が入魂の作だったのだなというのがわかります。
 私らぐらいの世代は多くの人がこの漫画読んでいると思いますが読んでいない人は読むべき作品です。あのアチョーも本作のことを評価しているようです(^^;
(★★★★)

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