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私のパソコン履歴書~4代目Contura 4/25C~windowsが欲しい!

Contura4代目>>>PCデータ
機種名:Compaq Contura 4/25C
使用期間:1992~1996
イメージキャラ:なし
購入価格:198000円
OS:Windows3.1
CPU:i486SX 25MHz
メモリ:4MB
HD:210MB
備考:A4ノート

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 DynaBookでそれなりに満足したPCライフを送っていた私ですが、1992年頃日本に上陸したwindowsというOSが気になっていました。また、まだ高かったですがカラー液晶のノートPCが手の届く値段になってきていました。そして私の学生生活も終わろうとしていました。

 大学受験のとき、私は情報工学系か化学系どちらかに入ろうと思っていました。前者はこれからはコンピュータの時代が来るというものから、後者は好きだった化学と実験から志望したものです。結局、後者になったのは情報工学系の学科が少なく難しかったからで、二本立てで受験したものの受かったのは後者だけだったからです。
 4年たって就職に際しても、コンピュータ時代の到来は間違いないものと私は思っていました。化学系の学科を出ていたので、純粋な化学系の会社でもいいかなとも思いましたが第一志望はSE。この頃はバブルの余韻がまだ残っていました。翌年ぐらいから就職氷河期となるのですが楽が出来て給料のいい会社に入りたい!という風潮が学生の間にはまだ色濃く残っていました。従って頭使いそうなSEという職業はあまり人気が無かったのです。というわけで、私はあまり競争もなく今度は希望通りに化学系のSE会社に入ることになるのです。

 一気に就職まで話が行ってしまいましたが、その前段としてwindowsパソコンの話をしましょう。就職活動をしながら、どんな会社に入ろうがパソコンは必要だな、と私は思っていました。そしてwindowsPCというものを店頭で見て、これからは"windows"だと思いました。当時はまだwindowsはスタンダードではなく、MACもあったし、その他のOS、OS2とかなんたらかんたらもありました。その中で何故windowsが優れていたかと言うとそれはデータやソフトの互換性でした。Windowsはメーカー互換のあるMS-DOSをベースとしていました。メーカーの縛りはなく、windowsという基本ソフト(OS)さえ入っていればメーカーも機種も関係ありません。唯一NECだけは独自の謎チューニングをしたPC-98windowsというのを使っていて互換性を保証していませんでしたが(^^;
 それまでのパソコンというのは何年か使うと陳腐化し、データも一緒に使えなくなってしまうものでした。新しいPCを買うときは前のデータともソフトともバイバイという世界だったのですが、windowsならそんなことにはならなそう。というわけでどんな会社に入ろうが、多少高かろうが今後を考えればwindowsパソコンが欲しい!と思ったのです。

 というわけで例のごとく、秋葉原を物色する日々を送っていた私。この当時はあのオウム真理教が裏で経営していた”マハポーシャ”が秋葉原にはありました。”マーハポシャポシャマハポーシャ!安い!速い!”などと数人の若者がパソコン型の帽子をかぶり、街頭でチラシを配っていて、私もこのチラシを時々受け取っていました。私含めオウム心理教がマハポーシャだとは露知らず。実は告白しますが、私もマハポーシャのパソコンを買う直前まで行ったことがあるのです(^^; 確か小型のスーパスリムサブノートというノートPCが白黒液晶でしたが168000円ぐらいでした。現金を握りしめてエレベータを上がり、まんじゅうみたいな顔したメガネのお姉さんにチラシを指差し”これください!”と私は言いました。ところが彼女は間髪入れず”売り切れです!”と言い、別のPCをすすめるのです。なんだあのPCは客寄せなのか!? 他のPCには興味ないし、なんか雰囲気も怪しげで信用できないな、と感じたので結局マハポーシャには二度と行きませんでした。それからしばらくしてあのオウム騒動が起こったわけです。しかし、修行でPCつくっていたわけですから、同じ性能の他メーカーと比較して安かったわけです(^^;; マハポーシャのBBSにも一度接続したことがあるのですが不思議なクレクレタコラみたいなアスキーアートが出現し、何かゾゾッとして慌てて切断したのを覚えています。第六感がマハポーシャに近づくな、と訴えていたのかもね(^^;
 でもって結局買ったのはcompaqのContura 4/25CというカラーのノートPCでした。”こんぱっく”なんてメーカーはその頃知らなかったのですが、でかい米国メーカーのようだし何しろカラーのノートが198000円!という安さ。この値段は現在まで含め、私が購入した最も高額なパソコンとなるのですが、当時は高いとは思いませんでした。あまりにあちこちうろついていたので、最終的にどこで買ったかは覚えてませんが秋葉原のどっか(T-ZONEだったかも)ということは確かです(^^;
 このパソコンにはおまけでマイクロソフトのワードとエクセルがついていました。ワープロは一太郎、表計算はロータス123がスタンダードだったので、エクセルとかワードはおまけ程度のソフトだったのです。おまけなのでありがたく使わせてもらいましたが、まさかあの使いにくいワードがその後こんなに普及するとは思わなんだ(^^;;
 それまで色のないDynabookをずっと使っていたため、新しいカラーノートはまるで別世界の天国にでも降り立ったかのようでした。買うまでは白黒でもいいかなと思っていた私でしたが、カラーじゃないとやっぱだめだと思ったものです。

 ところでパソコン通信の方は相変わらずwindowsになっても続けていました。ツールはw-termからniftermというシェアウェアの巡回ツールに変更。モデムももっと高速なものを購入し、むしろ私のパソコンライフはパソコン通信を中心にまわりはじめていました。
 パソコン通信への参加の仕方も社会人となり、新たなステージ(謎)を迎えていました。オフ会というものに参加するようになったのです。最初は勇気がいりました。なにしろ文字だけの付き合いの人と会うのですから。当時はデジカメとか携帯なんて便利なものはありません。顔はわからないし、携帯電話で呼び出すこともできません。服装の特徴を連絡したり目印になるものを持って、場所と時間を決め、それらしき人を探し”もしかしてオフ会の方ですか?”と声をかけなくてはいけないのです(^^;;
 私が最初に参加したオフはマリーンズのオフでした。野球の場合は球場という場があります。球場はオフとは関係ない人もたくさんの人が来ている場所なのでオフ会としては参加がしやすいと言えます。書き込んでいるうちに気心が次第に知れてきて、マリーンズのBBS上で第一回のオフを確かキクラゲさんという方が呼びかけました。そして、何度か回を重ねて参加メンバーもボチボチ増えていきました。そうなると、オフ会に参加していない人は話題に加われなくなっていきます。というわけで私もマリンスタジアムにはちょくちょく行っていたのではありますが、そのオフ会メンバー(後に毬印団という名前になる)がいると言う場所に行き、ついにオフ会にカミングアウトしたのです(^^;;
 書き込みでは威勢がいいのに随分静かな人たちだな、と参加して感じました。私もきっと、そのうちの一人なんでしょうが(^^; やはりある程度同質の人たちが集まっていたということなのでしょう。オフ会というのはけっこう居心地の良い場所で、それからもちょくちょく顔を出すようになりました。
 野球でカミングアウトした私は、けっこう気が大きくなり、今度は競馬の方のオフ会にも参加するようになっていました。こちらではむしろ中心メンバー(謎)として活躍するように成長?していきました。その話はもうちょっとあとの時代ですので、次回以降もっと詳しく書きます。お楽しみに(^^;;
 競馬の方は当時PATと言うパソコンでダイヤルアップして馬券を買うシステムがあったため、馬券を買いたいためにパソコンを買ってパソコン通信をはじめ、ついでにニフティものぞいてるという人が大量にいました。そういう人たちはいわゆるパソオタとは違う、普通に近い人たち(謎)でした(^^; そのためか馬系のフォーラムは盛り上がり、フォーラムは分裂してどんどん増えていったのです。
 ちなみにハンドルネームは一番最初から”よこぜ”を使っています。なぜかという由来は”よこぜき”だと座りが悪いので3文字に短縮したというだけです。埼玉によこぜ町があるとは知りませんでした(^^;

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