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私のパソコン履歴書~3代目DynaBook~パソ通で世界が広がる!

Ss02e3代目>>>PCデータ
機種名:東芝 DynaBook SS02E
使用期間:1990~1992
イメージキャラ:鈴木 亜久里
購入価格:79800円
OS:DOSV
CPU:i80C86 9.54MHz
メモリ:1.5MB
HD:20MB
備考:A4ノート

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 高校を卒業し1年浪人して大学に入学しました。大学1年のときは、校舎が習志野で通学時間も長かったので私のパソコンライフに変化は無かったのですが、大学2年となり御茶ノ水に移動。秋葉原は学校の徒歩圏だったので、暇があればアキバをフラフラ。この当時のアキバというのは今と違い、 電気製品とパソコンの町で女の子もアニオタもいない問屋街っぽいところでした。パソオタは1日フラフラしていても飽きません。
 そろそろFM-77AVに物足りなさを感じていた私は、型落ちの安い掘り出し物があれば買おうと思い、よくアキバをうろついていました。そんなある日のことです。何号店か忘れましたが裏道の方にあったソフマップの前に各種DynaBookが山積みで売っていました。この光景自体はアキバでは特に珍しいことではないのですが、その山の1つに掘り出し物を発見したのです。DynaBook SS02E という20MBのハードディスク搭載モデルがなななんと¥79800!
 DynaBookを最近の人はご存知ないでしょうが、ノートパソコンというジャンルをつくったエポックメイキングな一台です。初代DynaBookはハードディスクは搭載していませんでしたが、定価\198000という低価格で当時としては驚きの小ささのパソコンでした。F-1レーサーの鈴木 亜久里がDynaBookを小脇に抱えて歩くCMが非常に印象的でした。まだまだNEC全盛の時代でしたが、そこに風穴を空けたのがこのDynaBookです。NECもこの後すぐに98ノートという物真似パソコンをつくりましたが、98シリーズ衰退の流れはここから始まったと言って良いかもしれません。
 J-3100 SS02Eは初代ラインナップの1台だったのですが、当時は高価だったハードディスクを搭載していたため定価は40万円ぐらいする上位機種。学生の手に入るものではありませんでした。発売からしばらく経っていたとはいえ、それが\79800!5分程度買おうかどうしようか迷ったのですが、こんな掘り出し物は二度とないという結論に達し、郵便局へ駆け込み現金を下ろしてソフマップに戻り購入したのでした。このパソコンは、今振り返って見ても私のパソコンライフの中で最高の掘り出し物です。
 20MBなんて、今で言えば鼻くそみたいな容量ですが当時は無限の可能性を感じたものです。購入してみてわかったのですが、DynaBookはFM-77AVとは別種のパソコンでした。なんと言っても持ち運べる!自分の部屋でもリビングでもそして屋外にも持っていきました。機動性を増すために別売りの小型のACアダプタも買いました。青白液晶なので、絵を描いたりという用途には全く向かないパソコンでしたが、ビジネス・実用系のソフトが充実していて、表計算ソフトのアシストカルクやアシストワードなどを購入。このとき、表計算ソフトというものをはじめていじったのですが、そのあまりの便利さに、計算のためにプログラムなんか組む必要ないんじゃないか、と思ったものです。またDynaBookはDOSVパソコンの走りでもありました。まだまだNECの牙城は巨大でしたが、DOSVのDynaBookが出ることにより非NEC連合が結集していったのです。そして私にとって革命的だったのが、パソコン通信とこのパソコンを通じて出会ったことです。
 パソコン通信というキーワードは当時よく目にはしていたのですが、それがいったい何のことだか私には正直イメージできていませんでした。雑誌やムックなどを購入し研究。パソ通会社と契約してモデムを買って電話線につないでパソコン使って電話すると、いろんな情報や”おんらいんソフト”や”ふりーソフト”が"だうんろーど"できるようだ(当時の私はオンラインやダウンロードの意味がわからなかったのでひらがなで書きました(^^;)。このころ、2400bpsのAIWAモデムが1万円の値段を切るぐらいになっていました。よし、私もパソ通というものをやってみよう!まずはパソ通会社選び。NEC系のPC-VAN、日商岩井系のNifty-Serve、そしてアスキーネットが3大ネットと呼ばれ、草の根BBSというのも各地にありました。私が選んだのは現在もプロバイダとして使っているNifty。通信ソフトは本と同梱で売っていたW-TERMを使用。
 電子メールというのもパソ通につないでみてはじめて知りました。と言っても付近の知り合いは誰もパソ通なんてしていないので、当初は送る相手はいませんでした(^^;; niftyの担当者から、”niftyへようこそ”というメールが届いただけで感動したものです。
 パソ通の世界では情報のやりとりは、機種間で互換性のあるテキストデータで行われていました。テキストデータは易々とメーカーの壁を越えていたのです。今やこれは普通のことですが、当時は他のメーカーのパソコンでデータを読ませるには変換ツールが必要、というのが常識でしたから機種など関係なく情報をやりとりするパソ通の世界は私にとってカルチャーショックでした。

 ニフティのパソコン通信にはフォーラムと言ってテーマ毎の掲示板がありました。私のその当時の趣味は野球(マリーンズ)、競馬、映画、本、音楽(ジャズ・フュージョン系)などがありました。どれもそれに対応するフォーラムはあったのですが、書き込み(発言)の多いとこと少ないところがはっきりしていました。盛り上がっているのは野球と競馬のフォーラム。何故かと言えば、試合やレースが常にあるからで同じ話題で盛り上がれるのです。一方、映画や本、音楽というのは同じ話題では盛り上がれず分散してしまうものなのか閑散としていました。
 ロッテは千葉に移転して千葉ロッテとなっていましたが、知人にも付近にも全くロッテファンというものは存在しなかったので、私は孤高のロッテファンだったわけです。ところがパソ通覗いたらいっぱいいるじゃないですか!競馬についてもギャンブル面としてより、血統やレース分析などマニアックな談義をしている人たちがたくさんいました。私は一口馬主(シチー)をはじめていたのですが、一口をやってる人もたくさんいてマニアックな話が合う人がこんなにいる!と驚いたものです。かくして、私は毎日ニフティにW-TERMを使いダイヤルアップでつなぎ、見たい情報をダウンロード、いつしか自分も発言したり馬の画像をアップロードするようになっていったのです。

 ここでW-TERMについて少し解説します。W-TERMとはnifty用につくられた巡回ソフトです。オフラインの状態で、巡回する掲示板を選んでおくと、自動でダウンロードし回線を切るところまでやってくれます。つまり、最も短い接続時間で欲しい情報をとってこれるソフトなのです。パソコン通信に電話線でつなぐと、まず電話代がかかります(3分10円)。そして、パソ通会社は1分いくらという単位で接続料金もとったのです。W-TERMのような巡回ソフトを使わなくとも手動でコマンドを打ち込みながら巡回することもできたのですが、そうしたらいったいいくらかかるかわかりません。チャットにはまって何万円もパソ通に使っているという人もいると聞きましたっけ。このW-TERMはフリーソフトでした。他にもニフティ上には様々なフリーソフトやフリー画像がありました。ファイルがでかいとダウンロードに時間はかかりましたがこれもパソ通の大きな魅力だったわけです。
 一方でゲームソフトへ対する私の興味は急速に失われていきました。ゲーム自体に飽きたというのもありますが、パソ通から伝わるリアルの世界やバーチャルな世界でのやりとりの方がゲームに比べてはるかに面白かったからです。

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